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【書評コラム】酩酊のエクリチュール 第一回「冬を越えて咲く薔薇」

第一回 「冬を越えて咲く薔薇」

『冬の薔薇』パトリシア・A・マキリップ(創元社推理文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/4488520103/
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世の中、実にたくさんの本がある。
書店に赴けば毎日のように新しい本が積み上げられているし、ネットを開けば次々に新しい電子書籍が配信される。新たな本との出会いが増えるのは喜ばしいことだが、そのぶん膨大な本の中から自分にとって素晴らしい本を見つけるのも困難になってくる。
わたしはいつも「酔える本」を探している。
読んでいる最中、酒を飲んでいる以上の酩酊感で頭をくらくらさせられる本のことだ。
そういう「人を酔わせる本」がこの世にはある。
しかも、酒を飲んで酩酊から覚めた後迫りくるものは大抵厳しい現実であるが、「酔える本」を閉じた後には少なからず何かが変わる。それは思考であったり観点であったり、あるいは五感を超えた何かであったり。
今までに出会ったそういう本たちによって自分は生かされているとさえ思うのだ。

中でも『冬の薔薇』は私の恋愛観に大きな影響を与えているように思う。

主人公であるロイズは黒髪を振り乱し、琥珀色の瞳を瞬かせて裸足で森を駆け回る活発な少女だ。優しい父とおだやかな姉の心配をよそに、彼女は言う。
「自分のしたいことをしたいの」
頭の固い村人たちの中で自由に過ごしながらも彼女の目はいつも森の草花や風を映していた。「ときどき、自分に大切なもの―たとえば腕や目―が欠けているかのように、わけもなくせっぱつまった気分にかられて、こわくなった。でも、ほかの人々のように完全な人間になるには、なにが必要なのかわからない」。
そんな彼女はある日、泉のほとりで光の中から一人の青年が現れるのを見てしまう。青年が跡取りであるという廃墟のリン屋敷には、様々な呪いの噂が飛び交っていた。
呪いの噂に興味を惹かれたロイズは青年コルベットと言葉を交わすようになり、コルベット自身が呪われているのだと知る。

この物語のベースとなっているのはスコットランド伝承のタム・リン伝説である。
妖精の女王に囚われた騎士タム・リンが乙女ジャネットと恋に落ちる。ジャネットが愛するタム・リンを救おうとするこの伝承を、パトリシア・A・マキリップは物語の中に様々な人間関係を織り交ぜながら幻想的で繊細な筆致で描き出す。美しい比喩の数々に、私たちの瞳は深まってゆく夜の色や淡い陽の光を捉え、静まり返った部屋に森の木々を揺らす風の音や葉を踏みしめる音が聞こえてくる。輪郭のぼやけた世界を漂うように頁を捲り、やがて目が醒める。

「あなたのほしいものをあげる」
ロイズがコルベットを救い出そうとするクライマックスの場面の台詞を、私は時々頭のなかで反芻する。
「なにを?」「自由。あたしから、この家から、あの女の森から。あたしたち全員から自由になるまで、しっかり抱きしめててあげる。そのあとで、いなくなってあげるから」

必要とした相手さえも手放す覚悟をしたこの瞬間、ロイズは一人の完全な人間へと変化したのではないだろうか。
人を、ほんとうに愛することは難しい。大切な人と対峙する時、森の中できちんと髪を結わえて靴を履いたロイズに問いかけられている気がするのだ。
「あなたには変わる覚悟がある?」と。

大谷 雪菜(Yukina Ohtani)

福島県生まれ。第3回『幽』怪談実話コンテスト優秀賞。共著に『怪談実話NEXT』等。夜な夜な本とお酒に溺れながら文章や漫画を描いているスナック女。