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阿佐ヶ谷ロマンティクスin阿佐ヶ谷 有坂朋恵+古谷理恵インタビュー前編

生活に溶け込むような音楽をやりたかった

 作詞、作曲を手掛ける貴志朋矢を中心に、早稲田大学「中南米音楽研究会」のメンバーなどで結成された5人組のバンド「阿佐ヶ谷ロマンティクス」。レゲエ、カリプソなどの音楽をバックボーンに持ちながら、2010年代のポップミュージックへと昇華された楽曲は高く評価されている。今回のインタビューでは、「阿佐ヶ谷ロマンティクス」の女性メンバーである有坂朋恵さん(Vo)、古谷理恵さん(Dr)のお2人にバンド名の由来にもなった阿佐ヶ谷へお越しいただき、出会いからバンド結成、現在リリースされている2枚のアルバムについて、そして阿佐ヶ谷という街との関わりについてお話を伺いました。

ーー阿佐ヶ谷ロマンティクスというバンド名はどうやって決まったのですか?

古谷 オフィシャルでは、「阿佐ヶ谷という街が自分たちの音楽にぴったり合う」だっけ?

有坂 「混沌としていて、いろいろな新しい物を持っている街の雰囲気のような音楽」とかね。

古谷 勿論それはその通りなんですが、最初にバンド名が決まったのは、所属していたサークルの部室にあったサークルノートがきっかけだったんです。みんなが書き込めるノートってよくあるじゃないですか。そこに「阿佐ヶ谷ロマンティクス」と書いてあるのを見つけて、「これだ!」ってなったんです。

有坂 後になって分かったんですが、それを書き込んだのは阿佐ヶ谷ロマンティクスの、のちのサポートメンバーだったんですよ。そんな縁もありつつ、このバンド名になりました。

ーー阿佐ヶ谷という街の名前を使うことに、特別な思いはあるのでしょうか?

古谷 私たちのバンドは良くシティポップって言われるんですけど、以前お話ししたインタビュアーさんに「タウンポップですよね?」と言われたことがあったんです。シティって規模が大きすぎて人の顔があまり見えてこないんですけど、タウンは人と人との距離が近くて、顔が分かるイメージがあるんです。

有坂 住んでいる人たちの生活感があるのかな。

古谷 そういった意味では、阿佐ヶ谷という街はぴったりだと思うんです。

ーーそもそも阿佐ヶ谷という街自体にゆかりはあったんでしょうか。

有坂 バンドを結成して最初に決起集会のようなことをやったんですが、それで集まったのが阿佐ヶ谷だったんです。

古谷 もう移転しちゃったんですけど、中杉通りのビール工房っていう場所でしたね。そこに集まって「阿佐ヶ谷ロマンティクス」でやって行こうとなりました。

有坂 その頃から、生活に溶け込むような音楽をやりたいっていう漠然としたイメージは持っていました。

ーー阿佐ヶ谷での思い出があれば教えてください。

古谷 結成前はないけど、結成後はめちゃめちゃあるんですよ。私は阿佐ヶ谷に住み始めて2年半ぐらいになるんですが、バンドメンバーを呼んで阿佐ヶ谷で飲んだりしています。あとは、忘年会を必ず私の家でやると決まっていて、近所で食材を買ってきて全員が集まっています。

有坂 去年は新高円寺まで歩いていって「カラオケ アメリカ村」で朝まで歌いました。aikoの「キラキラ」はカラオケで毎回5回ぐらい歌います。

古谷 それが阿佐ヶ谷の思い出。最後、新高円寺に行っちゃったけど(笑)。

ーーみなさん仲が良いんですね。

古谷 バンドをやっていくうちに仲良くなっていきましたね。ここ1、2年くらいでガラッと環境、メンバーも変わって、遠方にツアーで行くことも多かったので、ギュッとバンドが近づいたかなって。

有坂 去年は中国ツアーに行ってきたんですが、大変だったけど楽しかったですね。みんなで頑張ってやっていこうと一つになって。円陣を組む感じで、組まないけど(笑)。

古谷 メンバーで飲みに行くことも多いんですが、有坂さんは終電を逃しては私の家に来る(笑)。

有坂 そろそろ家賃を払わないといけないかなって思っています(笑)。

もう一度音楽をやりたいと思う人が自然と集まった

ーーそもそもお二人の出会いは?

古谷 高校が同じで、私が先輩だったんです。

有坂 部活の1コ上の先輩でした。

ーー何部だったんですか?

古谷 軽音楽部ですね。名前が「MA(ミュージック・アソシエーション)」っていうんですけど、「俺らはMAであって、軽音部じゃない」っていう尖りをみせた謎の部活でした。

ーーその中で一緒にやられていたんですか?

有坂 そうですね。基本的には同じ学年同士で組むんですけど、その部活は先輩たちが怖すぎて、40人くらいいた同学年が4人くらいになってしまったんですよ。

古谷 それで自分たちが、後輩を手伝うようになりました。

ーー怖い先輩の中でも古谷さんは優しかったということですか?

有坂 オラオラはしていましたね(笑)。でも怖いっていう感じではなかったんです。

古谷 無理してオラオラしてました。その頃から一緒にバンドを組んで、クラムボンの曲をコピーしたりしていました。

ーーその後、現在のバンドを結成するきっかけは?

古谷 高校卒業後、私は早稲田大学の「中南米音楽研究会」というサークルに入ったんです。そこでバンドを組むことになったんですが、ボーカルがいなかったんですよ。そこでどうしようとなって、高校の時の後輩を引っ張ってくることにしたっていう。フィリス・ディロンを歌ってもらいたくて。

ーー有坂さんはサークルが一緒だった訳ではないんですね。

有坂 その時は服飾の大学に通っていて、授業も忙しかったので、一緒にはやっていませんでした。

古谷 ただ、有坂が音楽を続けているのは知っていたんですよ。一人で曲を作って、「SOUND CLOUD」に上げたりしていたので。

有坂 その頃は打ち込みが楽しそうだなと思って、独学で曲を作って、その時に思っていることを歌にして、録音して公開するっていうのをやっていました。

古谷 その活動は知っていたので、一緒にやろうよとなりましたね。

ーー他のバンドメンバーはサークル内で集まったのでしょうか?

古谷 中南米研究会を中心に活動していたのは、私と、ギターで作詞作曲をしている貴志の二人ですね。ベースとキーボードは、中南米研究会に出入りしつつも、「The Naleio」という、ブラックミュージックをやっているサークルを中心に活動していました。

ーー別々で活動していたメンバーが、一緒のバンドを組むきっかけというのはあったのですか?

古谷 ある時期にみんながサークルを引退して、やることがなくなって暇になったんです。でも、もう一回音楽をやりたいよねっていう人が、自然と集まった感じですね。

ーーまだやり足りないと思っている人間が集まってきたのですね。

古谷 その頃に有坂と、以前所属していたギターが、新しく何かをやりたいっていう話を私にしてきたんです。それとは別で、ちょうど同じ時期に貴志とマネージャーの二人から「音楽活動を続けなきゃあかん」っていう熱い話を聞かされていたので、ここの二つが一緒にやればいいじゃんっていうことになりました。

有坂 そこからは、キーボードも欲しいねっていうように広がっていって。

古谷 なので、やりたい人が集まってきてという流れですね。

ーー貴志さんが作詞作曲をされていますが、バンド内で誰が主導権を持つか決まっているんですか?

古谷 作詞作曲を貴志がしているので、曲作りや音楽的な方向は彼が舵を取っていますけど、別にワンマンでもない。民主主義だと思いますね。

有坂 他のバンドの話を聞くと、うちは本当に民主主義バンドだなって感じます。

「春は遠く夕焼けに」には就活時期のノスタルジーが出ている

ーーここからはファーストアルバム『街の色』の制作時を振り返っていただきます。

古谷 あのアルバムは、もうその時あるもの全部みたいな感じです。

有坂 アルバム制作をする時から、収録楽曲はほとんど出来上がっていました。

古谷 あのアルバムを出したのが結成して3年目で、それまでフルアルバムを出していなかったんですよ。

有坂 何曲かは新しく作ったんですが、基本的にはこれまでの3年間でやっていた曲の中から1枚にまとめました。

ーー1枚の中でも制作時期にばらつきがあるんですね。最初の方に出来た曲は?

有坂 「チョコレート」ですね。

古谷 「チョコレート」は有坂が一人で作って「SOUND CLOUD」に上げていた曲なんです。初めてスタジオに入った時に、「そういえば有坂、なんか曲作ってたじゃん。聴いてみようぜ」となって、そこから、これで1曲出来るんじゃないかと。

有坂 簡単な曲なので(笑)。

古谷 これにAメロ、Bメロをつけて、サビをこれにしてやってみようかって。そのアレンジを貴志がやってくれたんです。最初はそうやって、みんなで曲を作ったりしていたんですけど、続けていくうちに、貴志に合わせた方がいいんじゃないかという流れになりました。

ーーアルバム制作時に新たに作った曲は?

有坂 「離ればなれ」です。

古谷 直前まで出来てなかった曲だよね。

有坂 録音する当日ぐらい。

古谷 滑り込みセーフでね。

ーーこの曲は有坂さんが作詞作曲されてるんですよね。

有坂 そうですね。この曲は作る時に結構難航して、かなり苦しかったです。

古谷 私はレコーディング中に外に出て、街の雑踏の音を録って曲にのせたりして楽しかったですよ。有坂が頑張っている間に(笑)。

ーー全体を通して聴くと、アルバムのアートワークも相まってノスタルジックなイメージを感じたのですが、それは貴志さんが持っているものが出たのか、それともバンド全体で共有しているものなのでしょうか。

古谷 多分どっちもあるんですよ。ノスタルジーが出ているのって最後の曲の「春は遠く夕焼けに」だと思うんですけど、その曲は時期的に、皆が社会に出るタイミングの年、就職する前の年くらいに作ったものなので。

有坂 就活しているような時期。ノスタルジーというかモラトリアムみたいなものはありましたね。

ーーまだ学生の続きをしたい、みたいな?

有坂 古谷 ありましたね。

古谷 私は1年ダブっていて続けられない状況だったので、もう駄目だと就職しましたけど(笑)。

ーーみなさんバンド活動は働きながらですか?

有坂 基本的にはそうですね。みんな転職したりとかはありますけど。

古谷 結局働かなきゃ何にもできないので、バンド活動がしやすい仕事に就いてます。

ーー女性メンバーのお二人がバンドの幅を広げているような印象を受けるのですが、ご自身のパートというのはどれくらいの主導権を持ってやられているのですか?

古谷 アレンジはかなり自由にやっていますね。貴志がコードを作って、歌はこんな感じでっていうのを持ってきてくれて、スタジオでサンプリングなどを流しつつ、作っていくっていうやり方です。

有坂 貴志さんが録ってきた弾き語りを流したり、スタジオで突然歌い始めたり。

古谷 それをお題みたいにして、それぞれのパートを持ち帰って膨らませていくので、本当にやりたいことをやらせてもらっています。勿論ストップがかかることもあります。イメージと違う時は「違う!」ってはっきり言うんですよ。

有坂 身振り手振りがすごくてね(笑)。言葉もリズムの具体的な指示とかじゃない時があるんです。

古谷 「海の……」「朝帰りで……」「道で……」みたいに断片的なイメージの時もある(笑)。でもそれが分かりやすかったりする時もあるんです。

有坂 その曲がどんな場面なのかを教えてくれますね。

古谷 曲によってはものすごく細かい指示が入る時もあるんですよ。多分決まっている所と、決まっていない所があるから、決まっていない部分をみんなに埋めてもらいたいんだと思います。

ーーベースやキーボードなど、他のパートでも同じような作り方ですか?

古谷 そうです。だからその時、それぞれが聴いていた音楽の要素がサラっと入ったりしているんです。録音したものを聴いてみると「コイツ今これハマってんな」というのが分かるので、面白いんですよ。ただ、最近は新たな製作の方法を色々試しています。何人かで誰かの家に集まってコード進行の案を出し合ったり、DTMで仮に曲を組んでみたり。

ーー貴志さんから場面を説明されるということですが、そこから歌に落とし込んでいくのは大変ではないですか?

有坂 大変だと思ったことはなくて、自分としては歌いやすいですね。

ーー歌い方に細かい指示はあるんですか?

有坂 メロディーと歌詞は大体決まっていることが多いんですが、歌いまわしに関する指示は全然ないです。

ーー場面を切り取ったような、淡々とした歌詞が多い気がしますが、そういった貴志さんの世界観を表現することに難しさを感じませんか?

古谷 有坂は阿佐ヶ谷ロマンティクスという音楽を紹介する語り部らしいです。

有坂 自分の思ったことを曲にしていると、恥ずかしくなっちゃうんですよ(笑)。なので人が描いたものを表現するのがやりやすいと思っているんです。

古谷 役になりきった方がいいってことだよね。

有坂 人が作った世界があって、その中で役になりきって語っている感じです。でも、時々感情が入っちゃうこともあるんですが。

 後編では2枚目のアルバム「灯がともる頃には」制作エピソード、そして阿佐ヶ谷という街との関わりについて語っていただきます。

(取材・文=牧野文人 写真=長澤紘斗)

(商品情報)
1stアルバム『街の色』

定価:¥2,400+税
2017年1月25日リリース

収録曲:
1. 所縁
2. 後ろ姿
3. チョコレート
4. 道路灯
5. 不機嫌な日々
6. 片想い
7. コバルトブルー
8. 離ればなれ
9. 春は遠く夕焼けに

2ndアルバム『灯がともる頃には』

定価:¥2,400+税
2018年5月16日リリース

収録曲:
1. ひとなつ
2. ほんの一瞬
3. 想像ばかり
4. 灯がともる頃には
5. 君の待つ方へ
6. 逢いに行けば
7. 回想(Interlude)
8. いつもよりも
9. La La Means I Love You
10. 終わりのない日々に

配信限定シングル『独り言』
レーベル:FRIENDSHIP.
2019年12月11日配信開始

牧野文人

東京都出身。出版界の片隅に生息する何でも屋。ゆるく生きるがモットーです。